「第1世代」
1982年、大阪市大正区の方がミニFMをはじめる。ネット局TFM構築(大正FMネットワーク)NASA-FM等。
それに続いて港区にIBS-FM(76.1MHz)が開局。その後、港区に数局開局する
西淀川区にNBS-FM(78MHz)がスタート。関係各局が開局。
「第2世代」
1983年頃から港・西淀川・大正方面でのネットワーク(OFN
大阪FMネットワーク)が
構築される。(代表番組「電監をぶっとばせ!」「フライトオブキングギドラ」
「ひっくりかえったおもちゃ箱」等)
その後、港区はMFN(港FMネットワーク)西淀川はNFN(西大阪FMネットワーク)へ
TFNは解散
「第3世代」
1986年後期、豊中TIN-FMとのネット開始。
FR-FM代表番組「ネットワークPON! 「同2」「同3」「同4」「聞かずに死ねるか!」
FR-FMがキー局、KFN(河内長野FMネットワーク)スタート。7局ネットワーク
同じく河内長野にFRV-FM、ROL-FM、JOY-FM、等が「ナッツネットワークグループ」を構築
1987年夏、FR&コウタローが、IBS-FMから、数十局ネットによる特番を放送。
豊中、枚方、寝屋川等(北摂地域)で開局ラッシュ。
FR-FM&TIN-FM&TBC-FM制作の「ラジオがポン!」スタート
1988年、FR&コウタローの公開イベント開催。参加者200名以上。
FR-FM&TIN-FMの「ラジオがポン!」終了。
TIN-FM&STB-FM&FM314が「ラジオがポン!2」スタート
FR-FMが、豊中とのネットを中止。
FR-FMと神戸RADIO Y-FMとのネットワーク構築。
FR-FM代表番組「フライデースペシャル スーパーワイドステーション(生放送)」スタート。
Y-FM代表番組「ウイークエンドジャム(生放送)」スタート。
Y-FMが放送地域を離れ神戸東灘区地区に送信所を変更。DATによるテープ送信開始。
FR-FMも録音番組に変更(DAT録音による)。
FR-FM送り出し制作ファクト「FR企画」スタート。新番組「ライブ ステーション」開始。
「第4世代」
JET-FM等が開局。先行のJMS-FM等がネットワーク構築。
放送内容より、音質を重視する内容を放送。トークは(番組)ほとんど無し。
出力も「第3世代」よりも大きくなる。(テクノ・ユーロ・ビートがメインに)
今のところ、わかってる情報だけですが、今後、調整していきます。
FR-FMの経緯
小学校4年生の時、ワイヤレスマイクに興味を持つ。
その当時、東京に居たのでミニFMというものがあるのを知る。
(内容は特にただ喋るだけ)
小学校6年の時「ミニFM局」として番組を制作(番組名 スタジオway)
中学入学に際に本格的にミニFMとして定期放送開始。
「ラジオの製作」の情報交換の場所に大阪府堺ですでに開局していたSFN(堺FMネットワーク)の
玉城さん(私の師匠)に知り合う。(SWS堺ワイヤレスステーション)
番組交換等を行うがネットワークには参加せず。
1986年にFKB FM近畿として再開局。周波数「78.1MHz」でO,A。
西大阪NBS-FMの混信発生により周波数を「78.3MHz」へ。
周波数変更に伴い放送局名をFR南関西放送(愛称FR-FM)に変更。
現在、テレビ・ラジオに出演中の精神科医・名越康文(通帳 ゴパちゃん)も、
近畿大学医学部時代、FR指導の元、初めてラジオ(電リク番組)を経験し、中・高校生の
人気者になる(1986年〜1987年)。